コラボレーションシステムのテレワンプラス-TOP誕生話-
いろいろやってきたドラマがある
コラボレーションシステムのテレワンプラス
-TOP誕生話-
いろいろやってきたドラマがある
とある出張で、とある大手企業の社長さんに、「なんでオレを選んでくれはったんですか?」と聞くと、「障がい児童の教育からいろいろやってきたドラマがあるから」と言ってくれた…そんなエピソードを振り返っていて、私はふと思いました…
GSC代表は、いろいろなドラマをお持ちなのです。
吊し上げられたことだってあります。それは夢の中でですけど(笑)
いろいろなドラマがあっての、このテレワンプラスなんです。
代表のいろいろなドラマは、主にnoteでご紹介させていただいたのですが、テレワンプラスの公式サイトにも代表のドラマの痕跡を残すべく、ザッとご紹介させていただきます。
ITツールのサイトにドラマは必要なのか???
と言われると…正直困ってしまいますが、どうかひとつ広いお心で見守ってくださると嬉しいです。
東京でサラリーマンをしていた代表ですが、ご家族の事情で大阪に戻ることに。
そして大阪で学習塾を始めます。
転機は1999年夏のこと、学習塾に子どもの手を引いてやってきたお母さん。
「うちの子にも勉強を教えてあげて欲しい」と言いました。
うちの子に勉強をさせたい!させる!という覚悟が見えるお母さんでした。
お子さんはダウン症でした。
代表の頭には「世のため、人のために仕事せい」という父の言葉がよぎります。
当時は障がい児童向けの教育プログラムは確立されたものがなく、参考にできるものが何もありませんでした。
ないけど、必要や。なら作ればいい。
「よっしゃ、オレがやる」
ということで、お母さんに手を引かれてやって来たY君との二人三脚が始まりました。が、二人三脚と言っていられたのも束の間…代表の学習塾には、発達障がいの子どもたちがどんどんどんどん集まって来るようになります。
昔も今も、やると決めたら徹底的にやるのが代表です。
子どもがリラックスして学べるよう、また親御さんの負担を減らすためにも、学習塾に生徒を来させるのではなく、先生が各ご家庭に家庭教師として足を運ぶ体制を整えます。
生徒はどんどん集まってくるけど、指導方法は手探り…それでも妥協はしません。家庭教師ガッツのサイトに「子どもの心に寄り添う」という言葉があるように、とことんまで寄り添います。
なんでや?わからん!ということがあれば、とにかく子どもと一緒に、同じことをしてみます。子どもがしゃがみ込んで、じーっとアスファルトを見つめて動かないなら、一緒にしゃがみ込んで、いつまででもアスファルトを見つめたりします。
そんな時間のことや授業の様子は、実況中継のように細かく、時には一つ一つ会話調で報告されていました。とにかく当時は障がい児どうの教育に関する情報が乏しかったので、今後のためにも、指導方法はデータベース化する必要がありましたから、みっちり報告します。
となると、指導報告書は1回の指導につき、A4紙5〜7枚!
事務所にどんどんどんどん積み上がる指導報告書です。
積み上がるのは指導報告書だけじゃありません。生徒も先生も増えていくと、教材、会議議事録、日報、電話コメント、顧客ファイル、契約書類、履歴書やFAXファイル…
もう事務所はファイルの海と言っても過言ではないでしょう。とうとう、ファイル保管のためにお金を出して書庫を借りることになるのです。
とめどなく増える紙、ファイル、床に張り巡らされたケーブル線、鳴り止まないコピー機の音に、ホッチキス止めの音、書庫と事務所間を走るスタッフたち…しまいには、誰かがケーブルに足を引っ掛けて転ぶ、フ〜ンと止まるコピー機…
あー!もうなんとかしないと!時間もお金もモッタイナイ!
こんな日常が、コラボレーションシステム開発の第一歩になるなんて、当時のスタッフは誰も思わなかったでしょうね。
“もうなんとかしないと!”事項を整備していく取っ掛かりとして、パール(Perl:プログラミング言語のひとつ)で業務管理システムの開発を依頼します。
なんとガラケーの時代に!ガラケーで!家庭教師の入り時間、出時間の入力や報告ができるようにしました。
さらにこのシステムを使って、スタッフから事務局への連絡業務や給与の自動算出ができるようにし、時間・労力・ミスがカットされていきました。事務所もだいぶ動きやすくなったでしょうね。
当時パールでの開発は100%外部に依頼していましたが、代表はコードにも興味があり、この頃から独学でコードの勉強を始めました。
これが、将来、ロックダウンで静まり返った街のマンションのベランダの一角で、生きてくるんですね。
さて、今回はこの辺までにします。
この後障がい児童専門の家庭教師事業と、代表の独学コードはどのように発展するのでしょう?次回もぜひ読んでください。